児相の誤認保護について

行政事件
その他

この訴えを読んでくださる全ての方々へ。

突然のお便りすみません。
私は山梨県在住の中2の娘を持つ父親です。

我が家はとても明るくとてもオープンなどこにでもある普通の家庭でした。
我が家には中2になる娘がいます。
普段から甘えん坊で14になった今でも父親の膝枕で耳かきをねだるような子です。
お風呂上がりには私の前でスッポンポンで踊るような明るい娘です。
しかし春休みごろから母親、私に対しての反抗や世間、大人、親を馬鹿にした態度が目立ち始め部屋にこもり携帯で何やら見ているようでした。
携帯を買うときにはどこの家庭でも約束をして時間や用途を決めて使用するようにと話をするかと思います。我が家も同じように約束をしましたし本人に誓約書も書いてもらいましたが、全く素知らぬ顔でいかがわしいサイトへ踏み込み没頭していることが発覚しました。
母親への毎日の感謝もなく朝ごはんに握ってくれたおにぎりを私が送る通学途中の車内でドアポケットへ放置、数日後には真っ青にカビて異臭を放ち腐っている始末…。
私の妻はそんな娘への毎日の怒りに疲れ果て難病を患ってしまいました。
私に娘の躾を依頼されたのはそんな時でした。
私は夜中まで布団の中で携帯を隠れて見ている娘を知っていたのでメールして諭しました。しかし既読スルー…。
そんな日が続いたある日の朝私は娘の携帯をチェックしました。そこには未成年が見てはいけない画像がダウンロードされて保存されていました。
私は我が目を疑いました、それと同時に娘の踏み込んでしまった世界の恐ろしさに恐怖しました。このまま見過ごしたらどうなるか、優しい諭して聞いてくれる時期でもない、反抗期真っ只中の娘にどう伝えればわかってもらえるか、その先には犯罪者の餌食になってしまうかも知れない娘の危険がありました。
巷のニュースでは殺人事件にまで発展しているという世の中です、私の脳裏には物言わぬ姿で帰宅する娘がチラつきました。
思春期の娘にその怖さを知ってもらう為に私はネット社会の怖さを知ってもらう為にメールで諭す事にしました。直接話すには娘も恥ずかしいでしょうし何より妻が知ったら病気が悪化するのは目に見えていましたから私は娘と穏便に問題解決を図ろうと考えました。
私はその怖さを諭し続けましたが全てメールは開封すらされずに無視されました。
その間にも娘は何食わぬ顔でいつも通りの顔で妻と接しています。しかもそのやりとりの間に起こった事件がおにぎり真っ青事件でした。私は堪忍袋の緒が切れました。
数日前妻は難病の診断が降りたばかり。
原因の一つに娘の子育ての悩みがありました。
こんなことを妻が知ったら妻はショックで死んでしまうかもしれないと思いました。
生まれて初めて娘に本気で怒りました。
娘がした事、母親を裏切る行為をした事、自分の踏み込んだ世界の危険さを教える為に私は娘に自分が悪魔になってメールをしました。それは犯罪者が中2の女子を脅し犯罪を犯す様な内容のメールでした。親がするにはあまりにも酷く反吐がでる様な内容で娘を叱責し、脅し、辱めました。
娘には必ずメールを読む様にと口頭で伝えて帰宅しました。
すると程なくして自分の部屋から飛び出して来て妻に全て自分の口から話をして泣き叫びました。妻は私が娘に送った最後のメールを見て、これは酷い!虐待にあたる。と責められました。私はそんな事は承知の上で娘の未来と妻の身体を守るためにした事であると説明し、娘にはその場で怖い思いをさせた事を土下座をして謝りました。
娘も私も泣きました。これが他人だったらひょっとしたら命はなかったかもしれないんだよ、と娘を抱きしめながら話しました。
娘はわかってくれた様でした、が。
謝った娘は舌の根も乾かぬうちに再び妻を激怒させることをしたのでした。
会社のスタッフ達に馬鹿にした態度を取り怒られ、しかも中間テストで惨憺たる成績を取り妻の怒りはピークに達しました。
私達は家族会議を開きどうしたら自分のやるべき本文を全うできるかを話し合いました。
結果的に娘が一番嫌がることは何か?と言う話になりいつも私に言っていた、クサイ、汚い、の言葉をヒントに一緒に寝る、と言うペナルティを出すと、娘はそれだけは勘弁して下さい、と泣き叫びましたが今までその涙に何千回と騙されてきた私達はもう騙されないと言うとケロッとしてそのペナルティを受け入れました。
添い寝初日、さぞかし嫌がるだろうと予測していた私は肩透かしを食らいました。
私が、さて寝るか?と娘の部屋へ行くと、はーい!と娘は自分からベッドへ入ったのです…。
私も狭いベッドへ上がると娘は、うわぁ、と顔をしかめて、汚い〜っ、と言うので、私がもしも逆の立場になったらそれは相手を傷つけることだよね、というと娘はもう言わないから、と背中を向けたまま私に後ろから包まれる形で眠りに着きました。
その晩から私にとっての地獄と天国が始まりました。
娘は寝入り端は背中を向けて寝てくれますが、寝入ってしまうと寝返りをこちらにうって両手を宙で仰ぎ何かを探す様に探しました。それは横にいる私でした。
私の体を探し当てると首根っこにしがみ付き足を絡ませ私を挟む様に抱きついて眠るのです。その際に必ず私の腕枕になるのですが、寝る位置からして私の位置は娘を腕枕すると患っている左腕に娘の頭を乗せる事になりました。左腕は痺れが有り痛みもあったのでとてもつらい態勢での就寝になります。
ほぼ眠れない状態で朝を迎えまた仕事、その前には娘の登校の送りが有りました。
行きの車の中で私は昨夜の話を娘にしました。娘は、えー!覚えてない…。とショックそうにしていましたがケラケラと笑っていて、ゴメンね、と言ってくれました。
それが地獄篇での話。
続いては天国篇。
何が天国かと言うと、娘が寝返りを打って私を探して抱きついて眠ってくれる事です。
普段は甘えては来ますが、クサイ、キタナイと言う娘が無意識に私にしがみついて眠ってくれる事は涙が出ました。
娘はずっと生まれる前に父親を亡くして妻と二人で生きて来たので私達が結婚する時に一番喜んでくれたのが娘でした。
父親に甘える事、甘えている姿はとても幸せそうでしたから私は毎晩の様に私にしがみついて眠る娘の髪を自分の左腕の痛みも分からなくなるくらい眠気に勝てなくなるまで毎晩撫でては涙を流しました。
天使の様な寝顔、まだミルクの様な子供の匂いが残る娘を抱きしめながら今まで甘えられなかった分まで甘えさせてあげたいと思いました。
私達が結婚した後10歳だった娘が学校から帰って来て、お願い事を書いて来たと私達に見せてくれました。
そこには、みんなずっといっしょ。と書かれていました。私達はその時涙しました。
それが娘の願いでした。
私はその願いを叶えたく、都会を捨て、実家を売り払い山奥に土地を見つけ木の香りのする家を建てました。
おかげで娘の喘息の発作は出なくなりました。
環境は最高ですが娘の思春期は突然やってきました。
反抗とわざと親を逆なでする行動や言動を吐きました。
そんな中始まった添い寝のペナルティでした。
その中で私は娘に自分自身辛いことも今までいっぱいあっただろうに、布団の中でなら顔も見えないから一度心も身体も丸裸になって甘えて泣いてリセットしたらいい、そしたら成績も上がるし生まれ変わった様に心も体も軽くなるから。と私は話をしました。
しかし娘はなかなか反抗的な態度を崩しませんでした。
母親には悪態をつき、毎日の様に新たな悪事を働き怒られていました。
私との添い寝もあまり嫌がらず、寝る前には、朝は6時半に起こしてね!と私を目覚ましに使う始末…。私はあるイタズラドッキリを娘に仕掛けました。
娘は一人で寝るときはパンツ一丁でしたが流石に私と寝るときは短パンを履いて腰紐をしっかり結んで反抗の意思を示していましたから私は彼女が寝入って私にしがみついて来た所で短パンの紐を解いておいたのです。
数日娘が昼間母親から怒られた日の晩は短パンの紐を解いていると、ある朝妻から、娘が夜中に何かされてるって言ってるけど何かあったの?と。
私が経緯を話すと妻は笑っていましたがどうやら娘は自分が眠っている間に服を脱がされ写真でも撮られているのではないかと思った様でした。
私は明くる日娘を送りながら、ただのドッキリである事を話し、娘を手にかける様な事をしたら犯罪なんだよ、と話をしてあげました。
父親としてもしも教えなければいけない事があったとしてもスレスレの所までしか教えてはあげられないと伝えて、例え君が懇願しても親子だから性の対象にはならないんだよ、と伝えて終わらせました。
私は娘を特別な目線で見ているのは確かでした。
芸術的観点からです。
バレエをしていた娘の体の線はとても美しく滑らかでしなやか。バランスも良くとてもアジアンな美しさがあり娘には何度か作品のモデルになってもらっていました。
顔を撮られるのが一番嫌な娘だったので後姿や部分的にモデルになってもらいました。
そんな添い寝の最中も娘は私にあれほど嫌がっていた添い寝なのに耳かきをねだって来たて私の膝枕にヨダレを垂らしながら恍惚の表情を浮かべ耳掃除をしてもらう姿は子供そのものでしたし幸せな時間でした。
その生活に慣れてしまって来ているのが如実に表れ始めたのが母親との約束、入浴時間です。娘は風呂に入ると小一時間出てこなかった。それを母親に叱られて約束は長くても20分としていたが軽く40分は入っていた。
妻は毎日電気で沸かしているのに…と怒りを露わにして怒っていたが、一向に改善される気配がなかった。そこで私が娘が一番嫌がる作戦に出た。写真を撮られる事を嫌う娘が入浴中に脱衣所にさりげなく携帯をカメラを上向きにして置いてみた。
娘はかなりビックリしたようで、なんであんなことするの!と私に食ってかかって来たから、時間を守る約束は?と逆に尋ねると入浴時間は短くなった、数日は。
娘とは中2の春まで一緒に風呂に入っていたが流石に友達に言われたのかやめようと言う話になり一緒に入ることは無かったが、私が風呂に入っているとスッポンポンの娘が風呂の戸を開けてはポーズを変えてアバターの真似を披露した。
一緒に入らなくなり入浴時間は更に長くなり、私は娘に予告して制限時間内に出てこない場合は乱入すると宣言した。
それでも約束は守られることは無かったので一度だけ本当に乱入したが嫌がることも恥ずかしがることも無く、なんで入って来たんだよ!と一言残して出て行った。
後で恥ずかしくないのか尋ねると、中2だから。との事。別に恥ずかしくはないがみんな入ってないから、と言う回答だった。
羞恥心を持ってもらうにはどうすればいいか妻と悩んだ…。
娘は学校でオープンな我が家の暮らしと友達の家庭を比べて普通の概念とは何か?に悩んでいた様で、ある日の朝、ねぇ、私達一緒に寝てるけど私にもしも好きな人がいたらそれでもいいのかな?と言う質問があった。
私は親子が一緒に寝るのと好きな人と一緒に寝るのでは好きの種類が違うんだよ、と説明した。君が言う好きな人とはライクじゃなくてラブの方、親子の愛とはまた違うんだよ。と説明したがよくわからなかった様だ。
その晩から娘の態度が急変した。
強い拒否が始まったのである。学校で友達に話した様でその歳で一緒に寝るのはおかしいと言われた様だった。
娘は既に添い寝が始まった理由を忘れかけている様だったのでいま一度その理由を話した上で私も疲れていたのもあって選択肢を三つ用意した。
私の言う通りにして全てをさらけ出して素直になって生まれ変わるか、
親を親とも思わない態度が続いていて親を奴隷にしか思ってないなら一人で生活してみるか、一度精神鑑定を受けるか、と提案してみた。
娘は精神鑑定という選択肢を選んだ。
自分は障害があるのではないか?と言うのだ。そうすれば勉強も楽になるし、一緒に寝ずに済む、と。
私と妻はその答えに愕然とした。
自分が嫌なことから逃げるために、罰から逃れる為に自分を障害者にしようとしたのだ。
私と妻の怒りは頂点に達した。
尚更添い寝解除ができなくなった事を娘に伝えると、やっと一人で寝られると思ったのに!と怒りを露わにした。私達はそんな逃げる子は許しませんと添い寝を続行した。
それから数日が経ち妻と娘は娘の言う通りに発達診断を受けに病院へ行きました。
そこで娘が口にしたのは私との添い寝が苦痛だと話し自分のしたことの反省はなかった様でした。医師はお父さんが娘を虐待しているのではないかと疑念を抱いたそうで私が精神科へ受診する様に言われたそうです。
私は娘と妻が病院から戻りその話を聞いて私はその晩家には帰れませんでした。
娘を傷つけてしまった、合わせる顔がないと思いその晩は娘と妻だけの時間を作りました。
明くる日の6月13日、私は仕事にも手がつかず休みました。一人になり反省をしていました。
私は朝霧高原の道の駅にいました。
すると妻から昼ごろ連絡があり私が娘を虐待していると判断されたと言うのです。
どうやら富士吉田の保健所へ医師から受けた指示であった私の精神科受診に最適な病院を調べてもらいに相談に行ったところ話した途端にそれは性的な虐待に当たるとされ児相に通報しますとのことだった。
医師との約束や見解などを無視して保健所が児相へ通報したことにより娘は学校から児相へ緊急保護されてしまいました。
娘が自分の罪から逃げようとした事が大きな自体となってしまいました。
児相は警察を呼び私には危険人物の容疑がかけられ、妻と子に被害が及ぶ可能性があるとの事で自宅や職場の警護が付きました。
私は妻から連絡を受け安全な場所へ避難して一夜を明かしました。
妻は前夜児相で警察、児相の職員達に誤解であることを主張しましたが受け入れてもらえず娘に対し、保護をするなら条件付きで認めると約束させて保護の同意をしたそうで、我々は児童を預かる仕事をしているので娘のプライバシーを守る為に私達の事業所を利用している児童は皆娘と面識があるので保護する様な事があれば娘との接触が絶対に無いように、そして幼少から治療している歯科の矯正治療には行かせてもらえる様にして欲しいと約束をして同意したそうです。
児相からは私にも妻にも保護期間は二か月なのでそれまでには帰れる様にしましょうと話がありました。
また、今後の流れとして両親の面談と家族それぞれの司法面接をしてその結果で判断するとの事、また私は精神科へ受診して診断してもらう様にと指示がありました。
私はすぐに精神科へ受診して事の経緯を医師へ伝えましたが私には性的な虐待容疑がかかっているためか児相から事前に通報があった様で私は精神的に問題がある事は間違いないので離婚ないし別居しなさいと医師から言われ心理検査の予約を入れさせられました。
心理検査をすれば詳しく異常がわかるし断定的な診断が出来る、必ず精神疾患があるはずだと医師は自信満々に笑いながら話をしていました。
犯罪の容疑に加えて精神疾患の疑いまでかけられてしまいました。
妻の面談第一回目が終わると児相から私に連絡があり私の第一回目の面談がありました。児相へ行くとIとNと名乗る女性二人が私と面談をしました、二人は険しい表情で私に詰問しました。何故あんな酷いメールを娘に送りつけたのか、と。
私は自身がしたことが行き過ぎていた事などとうに自覚しており娘がその件で罪を認めて反省した際に私自身娘に対して土下座をして酷いことをしたと謝った事を話した。
すでに解決している問題である事を話したがまるで取り合ってもらえないので不思議に思って聞いてみると児相へは娘に送った最後の一番酷いメールしか情報として提供されておらずそこに至る経緯を記したメールを娘が削除していたのである。
私は事実無根の虐待容疑である事を晴らす為に娘とのやりとりの数年分のメールのやり取りを全て証拠として提出した。
それからしばらくはなんの音沙汰もなく時間だけが流れ妻が数回呼ばれて面談していた。
私はその間精神科で2回にわたり仕事を抜けさせてもらい何時間にも及ぶ過酷な心理検査を受けて7月の23日にその結果が医師から伝えられた。
結果は真っ白な正常な精神状態であり犯罪とは無縁。管理職などに適した能力を有する、精神疾患は認められないと診断された。
あれだけ私を異常者だと罵っておきながら医師は冷静に診断し分析結果のみを伝えて来た。この結果は児相へも行っているはずだ。
ここまでに半月を要し私達夫婦は心身ともに疲弊していました。
私は以前痛めた頸部筋膜症が悪化して左腕が麻痺して感覚がおかしくなって力が痛みと痺れで入らずに使えない状態になりました。
妻は膠原病が悪化。マウスすら握れなくなっていました。それまでの間7月の頭には児相との約束であった娘の横浜への歯科受診があり妻は児相へ連絡して治療の件を伝えると、娘は今会わせられる状態ではないと一蹴された。娘の将来のためにしてきた歯科矯正の約束ををあっさりと破ったのである。娘の未来を奪われたと妻は泣いていた。
そして7月の1週目か2週目には家庭訪問をさせて欲しいと妻に連絡があり、妻は仕事で児童の計画相談をしている関係もあり日程調整を7月の第1週に約束していた様だったが、児相から連絡があり忙しくて都合がつかないので遅らせて欲しいと第2週になってしまった。娘の保護期間はどんどん長くなった。
家庭訪問では素晴らしい環境だと話をしていたそうで娘を二か月で返せる様に動いていると児相から話があったと妻から報告を受けた。近隣とも交流があり安心したと児相は話していたとも報告をうけた。
児相はその時7月の終わりから8月の頭には結果が出ると言ったと話を聞いた。
家庭訪問が終わると面会になるはずだったが面会もできぬまま8月の1日に夫婦で児相へ来る様に言われた。その間に私が児相へ呼ばれ生育歴から現在に至るまでの生活歴を聞きとられ、その際児相は私の壮絶な人生を辛かったでしょうと理解を示し現在の家庭や家族の大切さもわかったと話をしていた。
そして7月最後に我々の事業所を利用する児童が事業所を利用した際に児相で娘と会ったと言いふらしていたと会社のオーナーから慌てて連絡が入った。
私達夫婦は開いた口が塞がらなかった。
もしもの時は娘を甲府へ移送してでも会わせないと約束したのは児相にもかかわらずこの顛末である。
人の家庭を壊す様な事をして、娘の権利を奪ったばかりか人権まで無視をして、父親の人権も蹂躙し、自分達は何一つ約束を守らない。それでいて職場や娘の学校への聞き取り調査もなく面会も果たせず、8月1日に私達両親に告げられたのは、父親と母親の分離ができていない以上は性的虐待により娘は返せないし面会も叶いませんとの結果を突きつけられた。
娘の意思は最初妻に話したのは児相なんて大袈裟だ、行きたくない。だった。
児相からは安心、安全になんの心配も無く暮らしている、泣いたり帰りたいとも言わないという話だった。
しかしお母さんを心配されていますと矛盾した事を言っていた。
妻と2回目の面談時には以前妻が婚姻していた際のお父さんは最低だった。二度と会いたくないしあうこともない、と。私にとってのお父さんとお母さんは今のお父さんとお母さんだけだと本人が言っていると担当の中込から聞いて記録が残っていた。
そして娘の成績が伸びないのは私と寝ていたからだと当初言われて環境要因が大きいとの事だったが児相に入っている間安心、安全な環境なはずだったが成績が伸びなかった事に関しては学校に行けていないから、との話だった、しかしその後8月7日に児相に呼ばれて行った際には娘の意欲の問題だと言われ、また話が変わった、環境要因では無いなら家庭に居たら成績は伸びたとまた嘘をつかれた事に憤りを滲ませていた。
8月1日には私に対しても言っていることがおかしな点があった。
まず、司法面接は家族三人行うと言っていたにもかかわらず娘一人だった事、いつ行われたかは教えられないと言われたが児相内部の知り合いからは娘が児相に保護されて3日目には司法面接は終わっている。お父さんが逮捕されていないなら虐待の事実は無かった証拠だと聞いていた。
そして、娘はずっと私とのことを話したがらなかったが、やっと口を開き私とは顔も合わせたく無い、二度と会いたく無いと言っていると伝えられた。私は違和感を感じたが私が娘を傷つけた以上は真摯に結果を受け止めようと考えた。それよりも一刻も早く娘を社会復帰させなければ娘の権利が奪われたままになってしまう焦りがあった。
8月7日妻が一人で児相に呼ばるまでに児相は妻に仕事をやめろ、家を売れ、離婚しろ、村の定住規約など知らない、違約金なりなんなり払って娘を引き取れ、娘以外に大事なものがあるのか、娘は養護施設か里親に預けられることに了承している、など私が表舞台から消えた途端に妻への嫌がらせとも取れる様な話があった。児相は私を加害者と呼び娘を被害者と呼ぶ、家族の誰一人としてそんな感覚は無い。娘が8月1日までに180度言う事が変わったのは明らかに児相の圧力が娘に加わったか児相がねつ造しているとしか考えられなかった。
何故娘は帰ってこないのか?と私が聞いた際には一緒に寝たら性的虐待だと言われそれは一番重い虐待に当たるから返せないし会わせられないと言われたが、虐待の定義は直接的に害を及ぼしたか、長きにわたり常にされていたか、その行為を強要または見せたりしたか、とあるが我が家は単なる娘が犯した悪事に対してのペナルティである。
その場だけの期間限定のペナルティ。
娘の反省と態度でそのペナルティは終了する、それは家族会議での決定により実行された。児相はまだまだ性的虐待は有ると言っているが何を言われたとしても14歳の思春期の娘が嫌がるペナルティは全て児相から言わせれば性的虐待になるだろう。
8月2日妻に更なる難病、線維筋痛症、光線過敏症、が医師の口から告げられた。
原因はキラーストレスが膠原病を悪化させたとの事。
私は8月5日高血圧から来るキラーストレスにより変動幅があり過ぎて狭心症と診断が降り、続くと心停止に至るとのことだった。
児相の二転三転する見解、嘘、娘からの手紙に書いてあった不自然な言葉、私は安全、安心して過ごしています…。
また児相は元気に家に帰りたいとも言わずに落ち着いて安心して過ごしています、と常に伝えてきたが、実際は児相内部の知り合いからは娘は帰りたがって泣いている、ご飯も食べれていないと報告を受けていた。
親の言うことには耳も貸さず取り合ってももらえないので会社のオーナーが第三者から見た我が家を知る代表として児相へ談判をしに行ってくれました。
オーナーも我が家の実態を話してくれましたが児相は耳を貸さなかったようです。
私も国へ確認をするべく法務省へ問い合わせました。その担当者は私が現時点で法務省に連絡していると言う事はお父様の容疑は晴れていると言う事です。また医学的にも娘さんの体に異常がないと診断されているなら虐待には当たらないし帰宅しないとおかしいし、面会が一度もされずに決定がされるのもおかしい、国は子どもの権利条約と言う国連の条約に締約しています、憲法第98条では如何なる日本国の児童福祉法や児童虐待防止法よりも国際条約を遵守すると謳っているので児相は憲法に違反している可能性が高いので直ぐに弁護士さんにご相談をすることをおすすめしますと言われました。
つい先日も静岡で同様のケースにより父親が獄中で亡くなり娘の言葉だけを信じた児相が父親の言葉も母親の言葉も信じずに結果娘のパーソナリティ障害を見抜けずに父親は死に至った。
また、都の児相に第三者委員会が入り誤認保護の立証に当たっていると言う記事を見ました。
そして毎日放送でも誤認被害の報道がありました。
全てがブラックボックスの中で行われ事実を捻じ曲げて伝え捏造し隠蔽する。
そこに何ヶ月も軟禁され権利を奪われている娘の未来を児相はどう責任を取るのか。
山梨に児相を調査する第三者機関はありません。
都留児相に保護された娘への誤認保護を解除出来る方法は家庭の崩壊か、死しか無いのでしょうか…。
夫婦が心も、体も蝕まれ娘を養育するには互いが支え合わなければ生活も成り立ちません。また娘を片親にする事が娘にとってどれ程の苦痛になるか、それは娘を育ててきて苦楽を共にしてきた親にしかわかりません。
世界中の皆さん、子を愛する親の気持ち、子が慕う親への気持ちを無にしてひとつの家族を壊す権利を児相の一職員に与えられている現実からどうか私達家族を助けて下さい。

最愛の娘を想う父より

相談者(ID:7908)さん

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